学ぶことの意味《中学生編》

 

先日,授業の冒頭で当塾の中1生に「学ぶことの意味は何か」を問いました。

 

子どもたちからは「受験のため」,「将来のため」,または「やらなければならないから」など様々な答えが返ってきます。

毎月にわたって将来設計指導を行なっている当塾の生徒たちでさえこの状態ですから,いったいどれだけの中学生が目的意識を持って日々の学習に臨めているかと不安になります。

 

「将来のため」というと聞こえが良いですが,具体的な夢が決まっているわけでもなくただ漠然と学んでいるだけであれば,それは義務的に学習を行なっているに過ぎません。

学習だけに限らず,確たる夢や目標が定まって,人はようやく本気になれるのです。

 

私は中学生にとっての「学ぶことの意味」は,いわゆる一般教養を身につけることに加え,大学受験に打ち勝つための,または社会に出て以降求められる忍耐力をつけるためと定義しております。

だからこそ,私は中学生に対して定期テストの過去問や予想問題といった安易な “お膳立て” を提供したくない,またはしてはいけないと考えております。

当塾の生徒たちが “お膳立て” がなくとも定期テストで結果を残すのは,確たる信念を持って生徒が学習に取り組んでいるからに他なりません。

彼らの頑張りに関してはこれまでのブログでも何度か紹介してきましたので,よろしければ併せてご覧ください。

 

辛い,やりたくない,面倒だ。できることなら楽をして切り抜けたい。

子どもたちの多くはそう考えますし,または何のために学ぶのか,なぜこんなことをする必要があるのかと自問自答することもあります。

忍耐力と同時に,弱い自分に打ち勝てる強靭な精神力も学習や受験という機会を通して磨かれるのです。

“お膳立て” を提供してもらい,それに縋っているうちは,これらが磨かれることは決してありません。

 

大学合格まで見届けた社会人や大学生の教え子たちと会う際,彼らの多くが口を揃えて私は「厳しかった」と言います。しかし,それがあったからこそ「成長できた」とも言ってくれます。

子育てと同じで,甘やかすのは簡単なことですし,お互い気持ち的にも非常に楽です。

 

私は塾で指導するようになって18年半が経っておりますから,正直なところ,中学生の定期テストの出題予想をしてくれと言われれば容易くできます。

しかし,長い目で見れば,それを与える,または与え続けることによって子どもたちにどのような弊害が出るか。これまでのキャリアでも多くの事例を目の当たりにしてきました。

 

その最たる例が,中学時代の成績 (定期テスト・内申・実力テスト) が非常に優秀で公立のトップ高に進学したにもかかわらず,大学受験では全く揮わないというケースです。

「学ぶことの意味」を曖昧にしたまま,中学時代は “お膳立て” を熟すことで結果を残し続けた。これは,さして難易度の高くない中学内容だからこそ成し得られることです。

高校では,特に進学校であればそうはいきません。

 

 

写真は本日撮影した,高校生の自習室の様子です。

多くの高校において本日または明日が期末テスト開始日ですから,どの生徒もその準備に余念がないといった感じで集中して取り組んでいます。

テスト前だからと慌てて取り組んでいる生徒も一部おりますが,この中には数学や化学,日本史等で今回の期末テストに指定されている範囲ではない箇所の学習に取り組んでいる生徒もいます。

さらには,翌日ではなく週明けに実施される科目の学習に取り組んでいる生徒や,すでに試験が終わった科目の学習に取り組んでいる生徒も見られます。

 

極論的な言い方ではあるものの,本気で大学受験に挑もうとするならこのくらいの余裕が必要です。

直前にバタバタするとか,徹夜しなければならないとか。直前に詰め込んだところで先には何一つとして繋がらないのです。

 

直近の単元が理解できている前提で学ぶ単元であったり,各単元の “流れ” が必要な科目というのがあります。

いわゆる点数の取れない生徒というのは,そういった流れをすっ飛ばして指定範囲の単元だけを捻じ伏せようとテスト前に慌てたり,過去問や当て物のような予想問題に縋ったりする。

こんな状態で結果など出せるはずもありませんし,これはただの付け焼刃に過ぎず,まさに『木を見て森を見ず』の状態です。

 

残念ながら,高校は合格することが目的ではありません。進学校であればあるほど,これは顕著です。

いわゆる「良い高校」に入学できたといっても,その後目標もなく淡々と日々を過ごし,学校からの課題に追われていると卒業時に大きなしっぺ返しが待っています。

毎年,岐阜高で30%強,岐阜北高や加納高でおよそ10%の生徒が浪人するという事実。

もちろん,ここには難関大を目指しての “前向きな” 浪人も含まれますが,全てがそうではありません。浪人しても「だめなものはだめ」ということです。

 

合格した直後から新たな戦いが始まり,中学生の頃より難易度の高い学問と対峙し,さらには周囲との厳しい競争に晒されます。

一般的に思い描く “楽しい高校生活” とはかけ離れた世界が進学校にはあり,ひとたび競争から零れ落ちてしまうと上位に這い上がることは至難の業。これが現実です。

 

進路探究塾 Mirai は中学生に対し,定期テストで得点できればそれでよし,または高校に合格できればそれでよしという指導を行なっておりません。

同時に,当塾には高校受験までしか指導できないという教員は 1名もおりません。私を含めた当塾在籍 8名の教員全員が高3生を担当しており,そのうち 5名が中学部の指導も担当しています。

ここでいう高3生というのは,センター試験を経て国公立大の二次試験に臨むという “標準的な” 高3生のことであります。当塾では高校生の学校準拠指導や推薦入試対策は行なっておりません。

 

小学生または中学生の頃から,大学受験やその先の将来を見据えての一貫した指導を行なう。

言い換えれば,本当の意味で将来を見据えた “筋の通った指導” が当塾の実践する教育なのです。