学力向上のために

2015.12.25_for blog_001

 

当塾の高校生の諸君を見ていて思うこと。それは,来る日も来る日も本当によく頑張るな,ということです。

 

先日のブログでも取り上げましたが,授業は20時50分開始であるのに軽めの夕食を持参して14時頃にやって来る。

これは受験を直前に控えた高3生だけでなく,高1生や高2生もこんな感じなのです。すばらしい。

 

高校生の諸君が黙々と自習に励む姿,教員に質問する姿を小中学生らが目の当たりにし,頑張ることの意味や継続することの重要性を背中で伝えてくれています。

その姿勢は確実に小中学生にも波及しており,憧れの姿として「僕も (私も) あんなふうになりたい!」などと話してくれます。

そのためには小中学生の頃からコツコツと取り組む習慣をつけることと,各種試験の予想問題といった “安易なもの” に頼らない姿勢が必要だと語りかけています。

 

学力向上のために必要なことは,楽な方法を求めることでもなければ,優れた授業をただ受けることでもありません。

いかに机に向かって知識や理解を落とし込めるかが最も重要であり,自身の受験生の頃の経験および約19年の塾教員としてのキャリアからもこれは間違いないと断言できます。

どれほど優れた授業を受けていたとしても,授業の復習もせずにただ受講しているだけという状態では学力が向上するはずもないのです。

 

私は農学部の出身でありますが,教育学や発達科学にも興味を持っていたためにその関連書籍もよく読みました。

学生の頃に読んだ『The Art of Teaching』(Gilbert Highet 著) という書籍にこんな一節がありました。

 

A scholar, for example, who has spent many years studying a difficult subject, may not know how to teach that subject.

And he may feel uncomfortable having a young audience.

But his reputation and knowledge are distinguished enough, they will hold the attention of the class even when he himself is dull and his voice is difficult to hear.

Many of his students will leave the class inspired, not by his teaching, but by the excitement of contact with a distinguished mind.

 

「例えば,難しい課題を何年もかけて研究してきた学者が,その教科の教え方を知らないこともあるし,若い人たちを前にして落ち着かないこともある。

しかし,その学者自身が退屈な人で,その声が聞き取りにくい場合でも,名声と知識が十分に優れたものであるならば,それが学生らの注意を引き付けてくれるであろう。

学生の多くは何らかの感化を受けて授業を後にするのだが,それはその学者の教え方によるものではなく,有名な学者に触れたという興奮によるものなのである。」

 

もちろん,大学の授業と大学受験合格を目指す塾ないし予備校の授業を一括りにすることはできません。

しかし,大学受験向けの参考書や問題集を執筆しているような有名講師が行なう授業であれば,授業を受けただけで “わかったような気がする” という錯覚に陥ることはあり得ます。

 

実際,私自身も予備校に通っていた頃に何度かそういった経験をしました。

やはり最後は自分であり,授業を通じて得たものをいかにして落とし込むか。これが何より重要なのです。

私たちは授業も当然行ないますが,自習室を含めた良質な学習環境の提供と全科目対応の質問受付の実施により,その落とし込みのサポートを行なっているというわけです。

 

最近では有名講師が行なう授業の録画を全国に配信する “映像授業” が幅を利かせていますが,私見ではあるものの,これをうまく使い熟せる受験生はおそらく少数派でしょう。

進路探究塾 Mirai は一方通行の講義ではない “対面教育”。

授業中,または授業外の対話を大切にして生徒たちの意欲や知的好奇心を刺激し,良質な学習環境と質問受付体制と併せて,私たちは真の意味での学力向上と志望校合格を実現します。