予想問題というものに対する私見

2015.08.29_for blog_001

 

今回のブログはいわゆる過去問と,様々な形で市中に溢れる予想問題に対する私見です。

 

過去問は出題の仕方や時間配分など,いわゆる傾向に “慣れる” ためには便利なものです。重視はしていないものの,私も生徒たちの入試前には必ず過去問に取り組ませます。

しかし,本番においてはいつも同じ形式または同じような難易度で出題されるとは限りませんから,過去問を偏重しませんし絶対的な存在とも位置づけません。

 

これまでのブログでも申し上げてきましたが,私はとにかく予想問題というものに抵抗を感じております。

私はこれまでの人生を振り返ってもあらゆる場面でそういったものに頼らずに生きてきたという自負がありますし,無責任なことを言って子どもたちを惑わせたくないという思いもあります。

 

先生の言うことだから間違いないと信じる生徒は多くいるでしょうし,入試前などは藁にも縋りたいという気持ちの生徒は多くいるでしょう。

しかし,そんな安易なものに頼って偶然にもうまくいってしまうと,以降は「予想問題がないと困る」という状態に陥ります。自主性もなく,かつ “味を占める” というのは本当に危険な状態です。

基礎基本を大切にして,決められたものを徹底してやり抜く。これが定期テスト,実力テスト,各種模試,入試に向けた学習のあるべき姿なのです。

 

続きまして,入試においていわゆる出題傾向が変わった際の実例をご紹介します。

過去問・予想問題漬けの受験生たちを惑わせた端的な例ではありますが,参考までにお読みください。

 

2015年の京都大の英語。

定番化していた英文和訳・和文英訳が一辺倒という出題形式が変化し,試験中に受験生から「まじかよ」という言葉が聞こえてきたそうです (京都大に通う教え子の後輩が話していたとのこと)。

問題に目を通すと確かに出題形式は変化したと言えますが,英文を読み取る,または解釈するという観点では難易度に著しい変化があったようには見受けられません。

とは言え,英文和訳・和文英訳しか出題されないと決めてかかっていた受験生は驚いたことでしょう。

 

また,2008年の岐阜県公立高校入試の数学。

それ以前は易しかった問題の難易度が急激に上がり,高得点勝負だったものが一転して実力を試されるものになりました。岐阜高の入試でも,試験終了直後は騒然としたそうです。

過去問を中心に取り組み,数学は脅威ではないと感じていた受験生はさぞ焦っただろうと思います。

当時も現在と同様に過去問偏重の指導をしていなかったこともあって私の教え子たちは難なく切り抜け,むしろ数学の得点で内申の不足を補って合格を掴んだケースさえありました。

 

過去問はあくまで過去問。

予想問題はその過去問をもとにして作成されたものですから,これさえやっていればよいというものにはなり得ませんし,どうしても作成者によって偏りが出てしまうものです。

占いではありませんが,『当たるも八卦,当たらぬも八卦』。たとえ予想が外れても,その作成者は何の責任も取ってくれませんからね。

 

上記したように,基礎基本を大切にして決められたものを徹底してやり抜く。これが学習のあるべき姿です。

“お手軽なもの” に頼っているうちは,真の成長などあるはずもないのです。